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2017年11月1日水曜日

東京オリンピックに向けて。

 今朝NHKで面白い特集を放送していました。訪日観光外国人の約4割が英語をしゃべり、約6割が日本語を喋れるというものでした。しかしおみやげ屋さんではご試食してください。お召し上がり下さいでは殆ど通じません。これをひらかなに置き換え、たべてください。とすれば殆どの人が理解できます。熟語、敬語の連発では外国人には理解できません。簡単なひらかな言葉に置き換えることによりコミュニケーションが可能になります。オリンピックに向けて英語教育だけに力を入れるのではなく解りやすい簡単な日本語の使い方教育にも力を入れたほうが効果があるのではないでしょうか。訪日外国人も自分が喋った日本語が通じて楽しいはずです。企業で異なった言語を母国語とする人が働いている環境では、共通言語である英語を使用するにあたって英語を母国語とする人も再教育を受ける事を義務付けられるところもあるそうです。言語は簡素化すればするほどコミュニケーションはとりやすくなります。

2017年10月7日土曜日

デジカメ修理(ニコンcoolpix s8200)

 知人から頂いた壊れたデジカメ。私の修理好きを知っているので直してみたらということで頂きました。早速分解修理にかかりました。
レンズは出るのですがスイッチをoffにするとガチガチ!と音がしてレンズの収納が出来ずにレンズエラーの表示が! レンズ交換しか方法がありません。 ネットオークションで部品取りのカメラを落札。
レンズ以外にも不具合の箇所があったので二台を同時に分解して2個1にしました。
いいとこ取りで1台にしました。
修理完了です。かかった費用3,000円。1,600万画素、14倍ズーム、連写機能まだまだ使えます。

2017年8月5日土曜日

びっくりしました!

 たまたま表示されていたExpediaの宣伝の中に今回の旅行中泊まったホテルの宣伝を見つけたので懐かしく思いクリックしました。ホテル案内の何枚かの写真の中に一枚の見覚えのある写真を見つけました。
前日、朝早く出発したいとオーナーに相談したら鍵はキーボックスの中に放り込んでおいてくださいと言われたのでキーと一緒に入れたお礼の走り書きでした。
スロベニア、Pri Ancki (Hostel)
のご主人の気配りには驚きました。(大急ぎで書いた走り書きなので誤字、脱字は無視して下さい。)
掲載されるのがわかっていたらちゃんと書いたのに!

2017年7月23日日曜日

クレジットカード決済は現地通貨が無難。

 旅行をしていると何かとクレジットカードを利用する機会が多くなります。最近では円でしますか?現地通貨でしますか?と尋ねられる機会が多くなりました。あまりに度々聞かれるので調べてみました。結論から言うと現地通貨決済のほうが無難なようです。
①現地通貨決済の為替レートは一律決まっている。
②円決済の為替レートは店側が勝手に決めることが出来る。
以上の点から信用を重んじる店はある程度以上の為替レートは上乗せしない。しかし東南アジアあたりの店は法外な為替レートを上乗せしてくる。(為替レートは円決済の場合には自由に店が決めることが出来る) グリーンのOKボタンを押す前にJPYになっていたら慌てず現地通貨に切り変えるゆとりを持ちたいものです。
中には円決済を勧める店もあるらしい。
従って、日本人はレシートの金額をあまりチェックしないのですが、必ず金額をチェックして高ければ取り消して現地通貨決済に変えてもらう等のことも必要かと思われます。店に何といわれようが現地通貨決済のほうが無難なようです。それと最近は不正請求も多いみたいなのでWeb請求書は必ずチェックをすることを習慣づけることも必要かと思われます。

2017年6月27日火曜日

今後の予定

 北欧は寒いから嫌だと言っていた家内がバルト三国(かなり北に位置します)に行ってみるとそれ程でもなかったのに気を良くして来年は北欧に行ってみたいと言い出しました。

モスクワ→サンクトペテルブルグ→タリン→ヘルシンキ→ストックホルム→オスロ→トロムソ→ロンドン→パリ といった感じになると思います。サンクトペテルブルグは私の希望、トロムソはオーロラでおまけ!この計画は未定です。

2017年6月17日土曜日

今回の旅行の決算

 今回も100万円を切りました。かろうじてですが。持参の電気コンロが貢献したのが大きいと思います。今回感じたのは旅慣れるとハプニングが起こりにくくなり旅の楽しみが半減したということです。非日常が日常に近くなり刺激が少なくなります。これを回避するには旅にパソコン、スマホは持参しない等の工夫が必要かと思われます。しかしこれを実行するには強靭な足腰が必要になります。やはり年寄りにはむりかな?

2017年6月12日月曜日

今日帰国しました。

 ベルギー、ブリュッセル空港→ストックホルム→関空には9時頃着きました。

2017年6月11日日曜日

12カ国目オランダ、マーストリヒトへ。

 次男夫婦とリエージュの駅で待ち合わせマーストリヒトへ。

リエージュ駅から30分程でマーストリヒトに到着。孫は電車が大好きなので大興奮です。

昼食の後は屋台で揚げたてのオランダチュロスを食べました。おいしかった!

橋の上から映した街の景色。

大きな水車が回っているパン工房。

生まれて6週間目の孫は初めての遠出です。タイヤのたくさんついたバギーは乗り心地がよほど良いのかスヤスヤと眠っています。お兄ちゃんは元気いっぱい好奇心のかたまりです。

ピンクのドレスが似合っています。ちょっと抱き癖が付いてしまったかも?

明日早朝列車でブリュッセル→ブリュッセル空港→ストックホルム→関空と帰路につきます。自宅には昼前に到着予定です。



2017年6月10日土曜日

リエージュ二日目。

 日程の都合で一日目は追加のホテルを取り、二日目からは前もって取っていたホテルで宿泊します。一日目のホテルをチェックアウトして二日目のホテルに移動しました。フロントで荷物を預かってもらい次男の家に行き天気の様子をうかがっていましたが、あいにく雨で予定していた観光を諦め次男の家で過ごしました。
リエージュの駅です。
話を聞いてみると留学予定は期待以上の成果があり 初期の目的はほぼ達成したとの事。それを聞いて安心しました。後はいつもの酔っ払い!早めにホテルに戻りました。

2017年6月9日金曜日

リエージュ、次男の所にやってきました。

 ブリュッセルのホテルを出てリエージュに。
 今回で二回目の訪問なので難なくたどり着きました。ここで2,3日過ごして日本に帰ります。

2017年6月8日木曜日

ラトビアのリーガを出てブリュッセルへ。

朝ホテルで朝食の後、日本お姉さん方と又再会出来たらいいですねと別れ、バスステーションに向かいました。何とそこで3組目の日本人ご夫婦とお会いしました。お二人で旅行を楽しんでいらっしゃるとの事。そこにお姉さん方もお見えになり一緒に記念撮影をさせていただきました。

メルアドを交換し再会を願いました。
その後飛行機でブリュッセルに入り市内散策を兼ねて買い物。去年来たところなのですぐ思い出しました。
今日はラトビアから長距離バスに4時間乗ってリトアニアに戻り、飛行機に3時間半乗ってブリュッセルのホテルに着いたのが夜の9時でした。3か国を12時間かかって移動したので少し疲れました。
明日はリエージュの孫たちに会いに行きます。楽しみです。

2017年6月6日火曜日

ラトビア、リーガ観光。

このホテルに泊まりました。珍しいことに日本人観光客二組に朝食の時にお会いしました。全部で20人程の宿泊客の内6人が日本人でした。今まで殆ど日本人にお会いすることが無かったので色々情報交換をしました。今夜も宿泊予定のご婦人二人連れは我々と同じケチケチ旅行をしているらしいです。今日一日分の野菜を朝食でとサラダを大盛食べていました。
Church of St. Peter ブレーメンの音楽隊。姉妹都市ブレーメンからの贈り物だそうです。
House of Blackheads 
Three Brothers 
長男の家というニックネームで呼ばれている右の家は、リーガで一番古い時代の家で、窓の大きさで税金が決まっていたので窓が小さい。
次男の家と呼ばれている真ん中の家は、窓の税金が廃止された時代の家なので窓が大きい。
三男の家と呼ばれている左の家は、間口の広さで税金が決まった時代の家なので、間口が狭いそうです。
Riga Castle
St. Jacob Cathedral
The Swedish Gate
ラトビアは中世はドイツ騎士団の支配下にあり、その後スウェーデン王国の支配を受けます。
 この後ろにスエーデンの軍隊の兵舎があった頃、一人の兵士とラトビア人の娘が恋をしました。当時はスエーデン兵とラトビア娘の恋は禁止されていました。見せしめのため娘は壁の中に塗りこめられてしまいました。今でも中からすすり泣きが聞こえるそうです。
Cat House
屋根の上の飾りが他は鶏なのにここだけは猫です。
当時はドイツ人しか商業組合ギルドのメンバーになれなかったので、ラトビア人の商人がギルド会館にお尻を向けた猫の飾りをつけました。その後ラトビア人もギルドのメンバーに入れてもらえたので、ギルド会館の方を向いた猫の飾りをつけたそうです。
Dome cathedral
昼の12時から20分間パイプオルガンの演奏を聞かせてくれます。一人€10にも関わらず教会内は一杯でした。パイプの本数が世界第4位のパイプオルガンの響きは荘厳でした。
ここリーガの旧市街地はストラスブールよりもっと小さな街なので歩いて回れます。車は入ってこれません。今日は朝早くから一日中歩き回っていました。

こちらは夏の間は夜が短いです。昨夜は夜の10時半ごろまで明るかったので 驚きました。今朝は4時には完全に夜が明けていました。








2017年6月5日月曜日

東欧10カ国目ラトビアに入りました。

 ホテルを出て。
バスターミナルでリーガ行のバスを待ちます。9時半発です。
荷物を積み込み出発です。
車内は飛行機と同じです。映画も見れ、GPSで目的地までのナビが表示されます。快適です。
小雨模様でした。リトアニア、ラトビアに来るとさすがに肌寒いです。
途中2回ほど駅で客を拾う為回り道。

 国境でパスポートチェックを受け。ラトビアに4時間半かけて到着。(内緒でチェックの写真を撮りました。見つかればひと悶着あるかもしれません。)
バスターミナルです。ホテルに到着後、買い出しに。
廃屋(元は飛行船置き場)
と思われる巨大倉庫の中は市場になっています。いくつもの市場があります。
リアニア、ラトビア、エストニア、バルト三国はソ連の支配下にあった関係でロシア色が色濃く残っています。リトアニア、ポーランドの間にはロシアの飛び地もあり、ホテルのパンフレットにはカラシニコフ(AK47)の試射コースも載っていました。
この後エストニア、タリンに行くつもりでしたがそこまで入ってしまうと元に戻ってこないと飛行機の便が殆どなくなってしまいます。そこでここで折り返しリトアニア、ビルニュスから次男の住むベルギー(リエージュ)まで飛行機で移動することにしました。チケットを見つけるのにてこずりました。











2017年6月4日日曜日

今日は市内観光を辞めカウナスに行ってみることにしました。

 カウナスはビルニュスから100kmほど離れたリトアニア第二の都市です。ここにある杉原千畝記念館に行ってみることにしました。
駅でチケットを買い。一時間半の列車移動です。
なんと来てみてビックリ!東の大関まで上り詰めたバルトの像が!さすがにふんどし姿ではありませんでした。
はるか後ろにバルトも見えます。
 カウナスの駅に到着。
長い階段を登って徒歩15分。
残念ながら只今改装中でした。
本当はこんな感じです。画像はコピペです。
杉原恭子。この机は実際に杉原千畝が執務をしていた机です。
おまけに杉原光久。
千畝の資料、ビデオを見せてもらいました。
室内のビデオです。
来館の記帳を見てみると昨日は日本人の来館者が多数(多分ツァー)来られていましたが、本日はどうやらここまで我々二人だけみたいです。流ちょうな日本語の受付の人と記念撮影!
杉原千畝記念館を後にしました。約80年前にこの前の道路に何百人ものユダヤ系ポーランド人が詰めかけました。日本のビザを手に入れシベリア鉄道経由で日本からアメリカ、南米のオランダ領まで逃げ延びたそうです。2193通の手書きのビザを発給、子どもを含めると6000人の命を救ったそうです。本人はその後シベリアに家族とともに抑留され戦後家族とともに帰国。外務省はこの記録を抹消ししばらく行方不明になっていました。1968年にイスラエル外務省の調査により所在が判明、名誉回復となりました。

その後昼食をということになりましたが土日ということもあり店が一軒も開いていません。やっと見つけた近所の居酒屋(どうやら酔っ払いの集まる店)で昼食をとりました。これが大当たり!味は抜群!量も酒のつまみなので日本人にはピッタリ!家庭の味を楽しみました。いつのまにか私も酔っ払いの仲間入りをしてしまいました!










リトアニア、ビルニュスに到着。

ワルシャワからビルニュス迄は距離が有るので列車、バスでの移動は年寄にはきついです。そこで飛行機に切り替えました。
飛行機で約一時間。予定では2時間掛かるはずが一時間で到着。時差が一時間ありました。
ホテルに到着。前には何百台ものオートバイ。なんかの集まりがあったみたいです。
近くのIKI(スーパー)で買い物をして帰りました。
ホテルに到着して次の予定を決めようとして初めて気が付いたのですが、バルト三国はロシアに近いため飛行機の連絡網が極めて悪いです。次男の住んでいるベルギー、リエージュに行こうとしてもいくら探しても飛行機(遠すぎて他の手段はダメ!)が満席だったり到着が遅い時間だったりなかなか見つかりません。デュッセルドルフ、ケルン、ブリュッセル、ボン、フランクフルトどこもダメでした。次男への荷物を持参しているのですが困ったことになりました。明日酔いがさめてまた検討します。ま!何とかなるでしょう!